公開: 2024年2月25日
更新: 2024年7月23日
1920年代の終わりに、世界は゛大恐慌に襲われていました。米国社会も日本社会も、銀行の破綻と失業者の増加に悩まされ、日本では、1930年代に入り、5.15事件、2.26事件と、軍部のクーデターか起き、軍国主義の風潮が強くなりつつありました。2.26事件では、金解禁の禁止を行った高橋是清蔵相も殺害され、日本の経済政策は、歯止めが効かない状態なっていました。米国社会では、1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領が就任し、ニューディール政策を断行し、大恐慌からの回復に着手し始めていました。
OECDの調査によると、1930年の日本のGDPは、約1143億ドル、米国のGDPは、約7692億ドルで、日米の経済格差は、約6.7倍でした。1935年の日本のGDPは、約1412億ドル、米国のGDPは、約6998億ドルで、約4.9倍、1940年の日本のGDPは、約2018億ドル、米国のGDPは、約9308億ドルで、約4.6倍であったと推定されています。米国の経済力は、日本のそれの約4.5倍以上であったと言えるでしょう。
日本国内で実施された調査研究でも、陸軍の調査で、日米の経済力の差は、4倍から5倍と推定されており、日本政府や軍の首脳たちは、この日米の格差は、理解していたと考えられます。常識的に言えば、これだけの差を考えて、戦争を始めることは、無謀としか言えないでしょう。それでも東条内閣が日米開戦に踏み切った理由は、日本国内における日米開戦への世論の圧力の強さにあったと言えます。多くの日本国民は、この日米の経済格差を理解していなかったのでしょう。